形ないモノ、カタチ有る物。

なにか作るには、構想や理論、開発方針、設計が必要。
優れた成果物の影にはそれを裏打ちする思想や理論がある。


「御託はいいから手を動かせ」
なにそれふざけてるの?頭使わず条件反射で手だけ動かしてても何も出来るわけないでしょうが。


「そんなことはない、ごちゃごちゃ考えなくてもよい物が作れる」って言う向きもあるでしょう。町工場の頑固親父とか、そういう職人気質のヒトが思い浮かぶ。
そう言うヒトでも、その出来上がりの裏には無形の支えがあるでしょう。単に言語化されてなかったりするだけです。
そういうのを理論とか構想とか、思想とは言わないかもしれない。でも根っこは一緒で、言語化したり可視化したりすれば、理論とか構想とかそういうラベリングが出来るようになる。もちろん、情報の伝達に齟齬が発生するかもしれない。でも、聞いて。その価値はある。
最近よく聞くような例としては、2007年問題対策でいろいろな企業とかが職人の技を数値化・可視化しようとしてるって言うのが思いつく。これはまさに、制作物を支えてる、コトバにされてない無形の支えを言語化するプロセス。


それでもなんとかの一つ覚えでただひたすら手を動かせ手を動かせとしか言えない向きには、凄いモノ作ってる組織には研究をする部門があるってのを考えてみればいい。
ぱっと思いつくのは有名どころでMicrosoftとか。あそこが研究開発につぎ込んでるリソースなんて凄まじいモノでしょう。で、それが全部が全部カタチのある物*1作りにつぎ込まれてるかというとそんなのあり得ない。
理論とか構想ってカテゴライズされるモノにつぎ込まれてるリソースも相当な物だろうって事は容易に想像がつく。基礎研究とか、すぐ目に見える成果が上がらない事柄ね。で、何でそんなことやってるのかと言えば当然それが必要だから。
ね、手を動かすだけが能じゃない。


目に見える成果物がないと理解できない。だから手を動かして作られた、出来上がりの品が重要なのは言うまでもない。JavaScriptが今ようやく理解され始めたように。
だからといって、出来上がり、結果だけを貪るのは得策じゃない。両方要る。材料がなけりゃモノは出来ないんだから。

*1:ソフトウェアの実装ってカタチはないけど、そういうのも含む。成果物には違いないから。