コードの旋律。

コードを書いて、製品を作る。これでも表現をしていることになると思うんです。
ゲームなんかの、芸術性が高い作品なら言わずもがな、そうじゃなくて、実用一点張りのビジネスアプリなんかでも、表現されたものと言っていい。どうしてかっていうと、その成果物が、作者の思想や実現したい世界像なんかを、あらわしているから。
たとえばLingr。あれは、"Webはリアルタイムになる"って言う、kennさん他インフォテリアUSAチームの、思想の表現でしょう。
そして、そうやって"表現された"ソフトウェアによって、ヒトの感情が動かすことも出来る。物語や絵画、音楽なんかと同じように。その製品によって実現される、新しいユーザ・エクスペリエンス。それがこの心の揺れの正体。体験っていうのは、理性による理解と共に、受ける感情も込みだから。
小説とか音楽、映画なんかは古くて枯れてるから、たかだか50年程度のソフトウェアの歴史と見比べると、異質なものと思うかもしれないけど。事実、異質だとは思う。だけど、映画と小説ってのも同質ではないよね。映画のような小説、なんてのはあるけど、異質なものではあるでしょう。
ソフトウェア開発が表現と思えないのは、その異質さに目が奪われてるとか、その短い歴史故にうさんくささを感じているのか。でもね、映画なんかもきっと、発明された当初は表現行為だとは思われなかったんじゃないかな。しかし今は立派な表現行為だ。
きっとそれと同じ道をたどると、私は思ってるよ。